▽神社大祭での市長祝辞に違憲判決
すでにご承知の通り、きのう、名古屋高裁金沢支部で、注目すべき政教分離裁判の判決がありました。
石川・白山市の市長が市内著名神社の大祭に参列し、祝辞を述べたのは憲法の政教分離の原則に反するとして住民が訴え、公費の返還を求めたのに対して、同支部は「市長の行為は社会的儀礼の範囲外の宗教的活動であり、公費による参加は違憲」と判断し、合憲とした一審判決を変更して、経費の一部返還を市長に命令した、と伝えられています。
報道によれば、市長側は、「全国的に有名な神社の大祭は市の観光イベントでもあり、市長の参加は儀礼的行為」と主張しましたが、認められませんでした。
今日になって市長は、上告の断念を表明。原告側も上告しないといわれますから、判決が確定することになります。
▽同様の事例はほかにもある
判決文を読んでいないので、正確なことはいえませんが、問題は裁判所が「儀礼的行為の範囲外」と判断した根拠です。「祝辞を述べた行為は宗教的意義を持つ」「宗教上の祭祀である大祭を奉賛する趣旨を表明したものと解するのが相当」ということなら、同様の事例が数多く容認されています。
歴史を振り返れば、昭和26年5月、カトリック信徒・永井隆博士の葬儀は長崎市葬として浦上天主堂でミサ形式で行われ、葬儀委員長の田川市長が祭文を読み上げ、吉田首相らの弔辞が寄せられたのでした。
神社の大祭の祝辞が違憲だというのなら、このような宗教的公葬が公共団体によって営まれ、市長みずから祭文を奏上することはどうなのでしょうか。
▽キリシタン領主の祈願祭、黒船祭の祈祷
今日においても、たとえば奥州市(旧水沢市)にあるキリシタン領主・後藤寿庵廟では、毎年春には地元のカトリック教会が主催する祈願祭が営まれ、市長が参列、ご祝儀が支出されています。
神社の大祭で市長が祝辞を述べるのが違憲だというのなら、教会の追悼ミサに市長がご祝儀をもって参列するのは合憲なのでしょうか。
また、伊豆の下田では毎年5月に「黒船祭」がにぎやかに行われますが、僧侶や牧師が式典に関係しています。
この行事はもともとペリー来航時に亡くなったアメリカ兵を慰霊し、日米友好を祈念して昭和9年に始まったもので、現在では行政と民間団体で組織する黒船祭執行会(事務局は市役所内)が主催して行われています。
初日には水兵の墓がある玉泉寺でアメリカ海軍が主催する墓前祭があり、住職が読経し、アメリカ軍牧師が祈祷します。翌日は駐日アメリカ大使を主賓として迎え、開国記念碑の前でメインイベントの記念式典が行われますが、やはりアメリカ軍牧師による祈祷があります。
著名神社のお祭りに公共団体の長が祝辞を述べるのが違憲なら、官民で主催する行事に宗教者が参加し、儀礼を行うことは合憲でしょうか。
▽歴史理解の致命的誤り
判決文を精査していない段階で申し上げるのははばかれるのですが、最近の政教関係裁判が混乱している主要な原因は、歴史理解の致命的な誤りにあります。
つまり、戦前は政教分離が確立されていなかった→だから宗教迫害が起きた→平和憲法で厳格な政教分離が確立された、とする単線的な歴史理解で、これは完全な誤りです。
なぜなら、たとえば関東大震災当時、行政は世界の大勢にならって宗教への不干渉主義をとり、このため無宗教形式の追悼式を行い、宗教者との抜き差しならない対立さえ生まれています。
国家神道の時代の宗教迫害も大いに疑問です。
キリスト教が迫害・弾圧したといわれている昭和の初期、正確にいえば、昭和8年2月、長崎・大浦天主堂の国宝指定を記念する祝賀会に鈴木知事以下、学務部長、警察部長、市会議長らが来賓として出席したことをカトリック新聞は伝えています。このとき鈴木知事は来賓を代表し、「私個人としては洗礼を受けてもいいとさえ思っている」と挨拶しています。
▽単なる無知なのか、それとも
戦後の歴史も同様で、現行憲法によって厳格な政教分離主義が確立されたのではありません。敗戦後、占領軍が厳格な政教分離主義を命じたのは事実ですが、占領後期になると、緩やかな分離主義に政策を変更しているからです。
戦争中、アメリカ政府は「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉であると誤って理解しました。それが「神道指令」の原因ですが、やがてアメリカは自分の誤りに気づいたのでしょう。だから政策は変更され、戦後の緩やかな分離主義政策がとられてきたのです。
政教分離の歴史を正確に理解しようとしない人々が、厳格主義にしがみつき、政教関係の混乱を呼び込んでいます。単なる無知なのか、それとも政治的意図があってのことなのでしょうか。
今回の裁判で白山市長が上告しないとなると、こうした人々に屈することになります。
以上、斎藤吉久メールマガジンから。


by telma12
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